ミニマリストへの憧れを駆り立てる、”空間”それにまつわる原風景
時間に追われたくない、綺麗な部屋で暮らしたい、人生をリセットしたい。
ミニマリストを目指す理由やきっかけは様々だと思います。
私の場合、そのどれもが該当すると思いますが。
でも、よく考えてみると、ミニマリスト、という言葉を知らなかった頃から、
それこそ、小学生の頃から、私には憧れがありました。
実家は長崎市で、父、母、妹、弟を合わせた5人家族。
父は広告マンで、深夜2時に帰ってくることもザラ。
私が学校に行く朝には寝ていて、私が寝た後に帰宅します。
そんなすれ違いの生活でも、
休みが取れると、いろんなところに連れて行ってくれました。
海や山もいいのですが、私をいちばん高揚させたのが、”街”
長崎で”街”と言えば、浜の町アーケードです。
自宅から徒歩10分、とても近い場所でしたが、
煌びやかで、何もかもが手に入る、買い物を楽しむ人々で賑わう場所でした。
いわゆるバブル時代です。
父は華やかでオシャレなことやブランドが大好きな人でした。
女性ファッションにも興味があって、母は父の着せ替え人形のようだったと言います。
夕方5時頃、父が、出かけるぞ、と言うと、みんなそそくさと支度をして家を出ました。
私は、襟に少しだけチュールレースをあしらった白に近い生成りのブラウスに、
濃紺やエンジ色の別珍のジャンパースカートを合わせ、
足元は膝丈の編み上げ靴下に、艶やかなブラウンの、少しだけヒールのあるベルト付のフラットシューズ。
髪は耳上の髪だけを、左右の高い位置にそれぞれ黒や白のオーガンジーのリボンで結わって、前髪と後髪はまっすぐに下ろす。
家族でウィンドウショッピングの後は、父の行きつけや、仕事関係の知り合いの店で食事をして帰るのが定番。
アーケードを歩いていると、同じような家族連れ、同じ年頃の女の子とも出会います。
目が合って、すれ違うその瞬間。
襟足のあたりから、スッと満足感が立ち上ってくる、あの何とも言えない感覚。
彼女も同じような感覚なのだ、と少女である私は知っていました。
子供ながらに感じた、富裕感。いったい何だったのでしょう??
重厚でリッチな質感の絨毯が敷き詰められた昔ながらのブティック。
シックでモダンなインテリアのファッションビル。
そして当時流行だった無印良品の無機質でクールなインテリア。
どれも子供が興味を持つようなお店ではないのに、
その頃から私はそんな”空間”に非常に惹かれていました。
どれも共通して言えるのは、必要最低限のものしかないこと。
とてもすっきりとしていて、そこにいるだけで、その非日常にワクワクし、充足感を感じる。
贅沢な空間作りが、モノを素敵に見せる。
そのことを、お店はよく知っているんですね。
特に、ブティックの陳列棚、そして階段や踊り場を見ているのが好きでした。
ガラス張りの陳列棚に、綺麗に畳まれた華奢なカットソーやシルクのブラウスが、
少量、等間隔に並べられている様といったら!!
皆さんも見たことがありますよね?
すごーく広い棚に、ちょこん、と置かれた素敵なあれです!
少量のモノ、というだけでリッチな感じがするのに、
その贅沢な空間の使い方にうっとりして、ため息です。
そして、階段は大理石で、広々と、靴の音を響かせる。
踊り場に出ると、アンティークのソファと猫足の丸テーブル、
そして置かれているのはインセンスだけ。
洋服を置けるだけ置いてしまえば、途端に家庭的な、
悪く言えば貧乏くさい雰囲気になってしまいます。
”空間”こそが大事。”空間”こそが、モノを引き立ててくれる。
そして何もない心地よさは、理屈抜きで感覚に訴えかけてきます。
このような”空間”の贅沢に憧れ始めたのが、小学生の頃だったと思います。
海や山ではない、家から10分の”街”
そこに私の憧れる非日常がありました。
ミニマリストへの憧れを強くした、私の原風景です。
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