買い物依存症。でもミニマリストになりたい。

買い物依存、ミニマリスト、相反する要素を包括、葛藤を綴るブログです。 買いたい。 でも貯金したい。 持ちたい。 でも増やしたくない。 そして、雨後の竹の子のように数多存在するミニマリスト本、お片づけ本、捨て本、シンプル本、そんな本を読んだ場合の感想など。 その他もろもろ。 どうなっていくかわからないブログですが、よろしくお願いいたします。

飽きるものと愛しくなるもの。そして、日常と非日常。

自分のやりたいこと、
望んでいる生活、
それに集中するために
無駄を削ぎ落とす
そして、自分にとっての必要最低限のモノで
生活を慎ましくしている、
という充足感。
それが私にとっての
ミニマリストを目指す理由です。

でも、
バッグや服を最低限に減らすことができて
(私はまだ道半ばなので想像ですが)
それで毎日は、はたして本当に、自分が求める、
心穏やかで、でもイキイキとした生活、
になるのでしょうか。

春先から、15着程度の服で
ローテーションしていますが、
確かに、無駄遣いしていないという
堅実に生活できている自分
に対する充足感はあるのですが、
刺激は全然ないというか、楽しくはないのです。
イキイキとしたワードローブ、ではないです。

この15着は今の自分の体型で
妥協して割り切って買った服で
すごくお気に入り、
というわけではないので、
だから飽きるのかもしれません。
お気に入りの服たちだけで
ワードローブを組めば
毎日楽しいんでしょうか?

はじめはウキウキ楽しいかもしれないけど、
三ヶ月、半年、と
同じ服をローテーションするたび
そのトキメキは
どんどん薄れていくのだと思います。

新しいものは、
その時点では非日常として
ワクワクとした刺激をくれる。
でも、日々使っていくうちに、
その刺激は無くなっていく。
ミニマリストの佐々木さんも著書で言うように、
人は憧れてやっと手に入れたモノにもすぐ慣れ、
またすぐに新しいモノが欲しくなる。
常に新鮮さという刺激を求めている。
どんな素敵なものも
それはいずれ、
あって当たり前のモノになり、
飽きてしまう。
仕方ないのかな、と思います。
特に、飽き性の私は、その傾向にあります。

しかし、当たり前になってしまった
服やバッグが
ただ飽きられるか、
それとも気のおけない相棒として
愛着を持たれるのか、
その違いは何なのでしょうか。

例えば、
ヌメ革でできたボストンって
いつか手に入れたい
私の憧れのバッグなのですが
こういうものはシミやシワ、
が味になっていくタイプのもので
それは単なる劣化ではなく
革のエイジングと呼ばれるもので
新品にはなかった、こっくりとした艶や
深い色味が加わって迫力が増すし、
自分とともに歳をとっていくいとしさ、
みたいなのがあると思うのです。

こういうバッグなら
飽きることはないのでしょうか?

お気に入りを厳選して持つ、
というワードローブに憧れ
この冬には55キロくらいの体重になって
タグがついたまま眠っている 
ヨーコチャンのウール光沢が美しいネイビーのバルーンワンピと
ドレステリアのシンプルシックな黒のセットアップを
職場にも、普段にもガンガン着たい!
そうしたら毎日が楽しいはず。
そう妄想しながら
ダイエットしていたのですが
どんなお気に入りでも普段から着れば
それこそ特別感は失われます。
よく、ミニマリストの方がやっているように
普段から上質なものを着て、
オケージョンにも着られるなんて素敵!
無駄がないし、
高い服でも回数を着れば元を取れるし、
とか思っていたんですが、
そういうことすると、
日常と非日常の差異がなさすぎて
つまらなそうです。
ヨーコチャンも、ドレステリアも、
ここぞという時に着るからこそ
トキメキをくれるのかも、
と思いはじめてます。

日常、ときどき、非日常。
贅沢ですが
服も、このバランスが重要かもです。
そして、なるべく飽きずに
慣れが愛着に変わるようなもの。
そういうものがどうか見極めて買い物したいです。