買い物依存症。でもミニマリストになりたい。

買い物依存、ミニマリスト、相反する要素を包括、葛藤を綴るブログです。 買いたい。 でも貯金したい。 持ちたい。 でも増やしたくない。 そして、雨後の竹の子のように数多存在するミニマリスト本、お片づけ本、捨て本、シンプル本、そんな本を読んだ場合の感想など。 その他もろもろ。 どうなっていくかわからないブログですが、よろしくお願いいたします。

一周まわってやっぱり、こんまり式はいいのかもと思った件。

去年から少しずつ、

フリマ、寄付、現金化アプリなどで

洋服の断捨離をしてきました。

 

それでもまだたくさん服を持っているので

今年は服をなるべく買いたくない。

買う場合は、

何か一つ以上手放してから、

と思っています。

 

近藤麻理恵さんの

こんまり式は

片付けは祭りであり、

一気に終わらせること、

そして手放す手放さないの

判断は、

ときめく、ときめかない、

の判断であること。です。

 

当初、私もかなり影響を受けました。

けれど途中で、

ときめきがよくわからない、

という感じになり、

実際着てみて似合うかどうか、

着ていく場所があるかどうか、

着やすいかどうか、

デザインが古くないかどうか、

などの実用的な視点で

選別するようになって

こんまり式からは

離れていました。

一気にやる、というところも

ハードルが高かったので。

 

しかし今日、

一つスカートを手放すことを決めて、

思ったのは、

やっぱりこんまり式って

最後の救世主!?

なのかも、ということです。

 

というのも、

手放すことにしたスカートは、

サイズよし、着心地よし、

デザイン良し、で

着ていると褒められ、

ヘビロテしていて

(実際昨日も着ていました)

だから、

絶対に手放す服の候補に

入るわけがない、

そんなこと考えたこともない、

というものだったのです。

 

なのに、手放すことにしたのは何故か。

自分でも正直よくわからないのですが、

それは説明でない何か、で

着ている時も

うっすらとした違和感がずっとあり、

昨日着ているときに、

とうとう、その違和感が

無視できないくらい大きくなって、

ようやくそれが、

”ときめかない”

という感情なのだと

思い至ったからなのです。

 

なるほど、これが

”ときめかない”なのか、と。

鏡を見て、

自分でも似合っていると思うのです。

スカート自体の形も可愛いと思う。

そして着やすい。

だけど何故か、

それは遠くから自分を見たような、

客観的な採点であり、

わたし自身が

気に入っているか?

嬉しいか?

と聞かれると、

微妙に違う、

ということに気づいたのです。

 

 

こういうことってあるのでしょうか!?

普通、着ていて嬉しくない、という場合、

似合っていない、

と自分で思うから

だと思うのですが。

自分で似合っていると思うし、

そのものも可愛いと思うけど、

何故か気に入らない。

こんな体験は初めてで

自分でもびっくりです。

 

でもとにかく、これが

”ときめかない”気持ちなのだろうと

解釈しました。

実用性や客観性の側面だけでは

判断できない何か。

そういう感情をうまく処理して

手放す方向に導いてくれるのが

こんまり式かもしれません。