買い物依存症。でもミニマリストになりたい。

買い物依存、ミニマリスト、相反する要素を包括、葛藤を綴るブログです。 買いたい。 でも貯金したい。 持ちたい。 でも増やしたくない。 そして、雨後の竹の子のように数多存在するミニマリスト本、お片づけ本、捨て本、シンプル本、そんな本を読んだ場合の感想など。 その他もろもろ。 どうなっていくかわからないブログですが、よろしくお願いいたします。

毎日全力で生きよう。

昔、22歳の頃。

就活をしなかったわたしは

大学を卒業して

設計会社の事務のアルバイトをしていました。

 

この業界特有かもしれないのですが

大きな仕事の締め切りは

みんな泊まり込みで、

でももちろんベッドなどなく、

みんな自分のデスクの下で

ダンボールや新聞紙などを敷いて、

幼虫みたいに丸くなって寝てたり、

歩くと、寝ている誰かの足が

投げ出されていて

踏みそうになったり、

そういう現場でした。

 

そんな感じなので

チーム全体は家族みたいで、

仕事はきつかったけど

すごく楽しかったのです。

特に3歳年上の社員の男性がいて、

親切に仕事を教えてくれました。

 

彼には付き合っている彼女は

いなかったのですが、

隣の部署にとても親しい

社員の女性がいました。

年齢は、私と同じ、22歳。

彼女はぱっちりした目が印象的で、

いつも元気で、

明るく可愛い女の子です。

 

二人は社宅が同じで

公私ともに過ごす時間が長く、

正直、付き合っているのと

ほとんど同じだと思いましたが、

周囲も本人たちも

兄妹の関係だと言いました。

 

私は彼のことが好きだったので

彼女が羨ましかったです。

彼のことを

いつも笑顔にできることも、

付き合ってるか、いないかは

わからないけど、

自然な雰囲気で始終一緒に

いられるという関係も。

 

彼が車を買ったと聞いた時、

ああ、きっとその助手席に

真っ先に乗るのは

彼女なんだろうな、

と思いました。

密かにため息をつきました。

 

それまで、

誰かに告白されて付き合う、

という経験しかなかった私は

自分から、という勇気がなく、

また、彼女という存在の前に

自分が入る余地はないと思い、

結局気持ちを伝えることは

ありませんでした。

長期の海外旅行に行くため、

私は1年ほどで

アルバイトを辞めました。

 

 それから3年ほど経った時に、

当時同じチームだった

他の社員から、

久しぶりに集ろう、と誘われ、

私は懐かしい気持ちで

みんなに会いに行きました。

 

場所は池袋の居酒屋で、

10人ほど集まりました。

彼は元気そうでした。

会うなり、とめどなく

お互いの近況を語り合いました。

彼がトイレに立った時、

私は隣にいた他の男性社員に、

彼女は後から来るんですか?

と聞きました。

 

当時を思い出しても、

彼の隣には必ず彼女がいました。

他の部なのに、

うちのチームの飲み会にも来るほどです。

だから今日も当然

来るはずだと思っていたのです。

 

すると、男性社員は一瞬固まり、

静かに言いました。

彼女、亡くなったから。

お前が辞めてすぐ、

あいつの車の事故で。

あいつも半年入院したよ。

いまやっと立ち直り始めたとこだから。

だから、

あいつにはその話振らないで、と。

 

私がその男性社員以上に

固まったのは

言うまでもありません。

なぜ事前に教えてくれなかったのか、

ということも何も言えず、

何も聞けませんでした。

 

その日は何を食べても

味もしないし、

誰かの話も耳に入ってこないし、

相槌を打つのがやっとで

とにかくショックで

呆然としていました。

 

彼女と親しかったわけじゃないのに、

とても忘れられないくらいに、

今でもショックです。

ある意味、

私の父が亡くなったことよりも

ショックでした。

 

なぜ彼女の死は、

これほど私の心を離さないのか。

彼女が若かったから?

あんなに元気だった子が

突然亡くなる。

言い表せない衝撃で、

私は今でも定期的に

彼女のことを思い出します。

 

当時の彼女の笑顔、

朝早く来て

一人でPCに向かい

エクセルの勉強をしている姿、

珍しく二人だけになった時、

欲しいものがあるから

少しずつだけど

お金を貯めてる、

という話をしてくれたこと。

数少ないことだから、

余計に印象に残っています。

 

今、私は41歳。

もう、20年も経ったのですね。

それでも彼女は

永遠に22歳のままなのです。

私は彼女の倍も生きて、

親子ほども年が離れてしまいました。

 

 今こうしてお茶を飲んでいる私。

ここで、こんな風に、

ああ、おばさんになったなー、

などと呑気なため息を

ついているのが

私ではなく、

彼女であっても、

何ら、おかしくはない。

 

そして22歳で時が止まったのが

私であっても、おかしくはない。

 

みんなが生かされている。

死への距離は、誰もが一定。

 

何が言いたいのか

まとまらなくなりましたが、

とにかく、

毎日全力で生きましょう。